シリーズ:歴史に学ぶ(8) -故事成語の由来④-

シリーズ第8回となる今回も、引き続き故事成語をピックアップし、その由来を取り上げてみたいと思います。

◇ 矛盾(むじゅん)

戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)末期に、韓非(かんぴ)という思想家がいました。韓非は、戦国七雄(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓という戦国時代の七大国)の一角である韓という国の王族で、非常に明晰な頭脳を持っており法家理論の完成者とも言われています。その韓非の法家理論を著した書物が「韓非子」(これを読んだ秦王政、後の秦の始皇帝は非常に感銘を受けたと伝えられています。)であり、この韓非の著作「韓非子」には、次のような逸話が載せられています。

ある時楚という国の商人が、次のような口上で矛と盾を売っていました。
「この矛はどんな防具でも貫けるすごい矛だ!、さあ買った買った!」
「この盾はどんな武器でも貫けないすごい盾だ!、さあ買った買った!」
これを聞いていた人が、次のように問いかけます。
「それなら、その矛でその盾を突いたらどうなるんだ?」
こう言われて商人は答えに窮してしまいました。

この逸話から、辻褄が合わないことを矛(ほこ)と盾(たて)と書いて、矛盾というようになりました。

 

ここからは余談ですが、では、なぜ韓非は法家理論の著作にこのような逸話を載せたのでしょうか?

韓非が生きた時代(戦国時代)、国家をどのように治めるかについては大きく二つの思想の対立がありました。一つは、為政者の徳をもって治める「徳治」を理想とする「儒家」(孔子を祖として孟子などの大家が連なる。)、もう一つは、為政者の徳という曖昧な個人の資質にのみ頼るのではなく、法という厳然たる仕組みで治める「法治」を理想とする「法家」(主に実務家たちの実務処理の中から形成され、韓非が完成させた。)です。

韓非は法家に連なりますので、当然、法家の掲げる法治こそが在るべき統治だと主張するために儒家を批判します。ここで目を付けたのが、堯(ぎょう)と舜(しゅん)という儒家が神聖視する、伝説上の古代の聖帝でした。古代においては、堯という聖人が天下を治めており、この堯が天下の統治に疲れ帝位から退くときに、側近として自分を支え聖人として名高かった舜に帝位を譲り、以降は舜が天下を治めました。この堯と舜について、韓非子には次のような問答が載せられています。

ある時、(儒家の祖である)孔子が、堯の側近として天下の害悪を3つも除いた舜の偉業を称えます。このような偉業を為した聖人だからこそ、後に堯の後継者として帝位に就いたのであるということでしょう。しかし、ここである人が孔子に問います。「その舜が偉業を為した時、堯はどこにいたのか?」と。当然、この時は堯が帝位にあって天下を治めていました。つまり、堯が理想の聖帝であるなら、なぜ舜が除かなければならなかった害悪が天下に存在したのかということです。

舜を称えるなら、舜が除かなければならなかった害悪の発生を防げなかった堯を否定することになり、堯を称えるなら、堯の天下で除くべき害悪が発生するはずがないので、舜が偉業を為し得るはずがなく、舜を否定することになります。

このように、儒家が堯と舜を同時に称えるのは辻褄が合わないと韓非は言いたかったのであり、これをよりわかりやくす伝えるために、この問答の話の後に先ほど矛と盾の逸話を載せたというわけです。

※「子」というのは男性に対する尊称であり、「韓非子」は韓非本人を指すこともあります。