シリーズ:歴史に学ぶ(5) -故事成語の由来①-

今まで堅いテーマが続きましたので、シリーズ第5回となる今回からは、少々軽めのテーマということで、いくつかの故事成語をピックアップしその由来を取り上げてみたいと思います。

 

◇ 覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)

シリーズ第1回で取り上げた、殷(紀元前17世紀頃~紀元前1046年頃)という王朝の最後の王である紂王(ちゅうおう)を倒して、新たに周(紀元前1046年頃~紀元前256年)という王朝をうち建てたのは文王(ぶんおう)・武王(ぶおう)という親子でした。最初、殷王朝の打倒という事業は文王が進めていたのですが、文王は道半ばで倒れ、その事業を引き継いで完成させたのが息子の武王です。そして、軍師としてこの親子を輔けて目覚ましい働きをしたのが呂望(りょぼう、呂尚とも呼ばれます。)という人物で、彼は大公望(たいこうぼう)とも呼ばれました。

この呂望という人物は、若いころは仕事もせずに読書ばかりしていたので、呆れた奥さんに離縁されたという(当時の感覚に照らせば)放蕩者で、その後呂望は各地を渡り歩き、ついに文王に出会い軍師として迎えられました。そして、文王・武王の下で大いに働き勲功第一と評された呂望は、斉(せい)という国に封じられ君主となりました(シリーズ第1回で取り上げた斉の景公は、この呂望の子孫です)。

こうして呂望は大成功を収めたのですが、そんな呂望の下に、なんと離縁したはずの元の奥さんが復縁を求めて訪れてきたのです。そこで呂望は、お盆に水を汲んできてそれを覆し、元の奥さんに「こぼれた水をお盆に戻してみなさい」と言いました。元の奥さんは試してみましたが、こぼれた水をお盆に戻すことはできませんでした。それを見た呂望は、「一度こぼれた水は二度とお盆には返らないように、私たちの仲も二度と元には戻らない」と言って復縁を断ったといいます。

この故事から、取り返しのつかないことを「覆水盆に返らず」と言うようになりました。

※なお、この故事は遥か後の五胡十六国時代(紀元304年~紀元439年)に成立した小説集「拾遺記」に載せられた話で、呂望が生きていた当時の時代背景に合わない点も多々見受けられるため実話ではないと言われています。